数日のうちに対極とも思える接客を受けたヒロとザッチの会話です。
片方はぶっきらぼうで横柄な態度の漫画喫茶の店員。
片方は極上のサービスをしてくれるカレー屋の店員。
※ それぞれの対応内容は本記事には直接関係ないので省略します(苦笑)
ザッチは『良い人だけが集まった街があれば良いのに』と言いました。
良い人というと語弊がありますが、確かに自分に合う人ばかりに囲まれて過ごせればストレスは少ないように感じました。
しかし、しばらくするとザッチは『それではダメかもしれない』と言うのです。
どういうことかと云うと、良い人が良い人であると認識できるのは、良いと思えない人の存在を知っているからなのだという事です。
例えば、どの店に行っても極上のサービスを受けていたらそれが当たり前になってしまいます。それでは、私達が行ったカレー屋の店員さんが良い人だとは気づけなかったのではないか?という事です。
そう言われてみればそうです。ヒロは漫画喫茶の店員に酷く腹を立てていましたが、考えを改めなければいけません。
漫画喫茶の店員のような人がいるからこそ、カレー屋の店員のような人が際立つのだと思いました。
私は「ヒロさんにとって過ごしやすい環境ってどんなのかな?」と、時々考えます。
ヒロさんは私が何とも思っていない場面(五感への刺激や人間関係)でストレスを感じやすいし、私が(ちょっと不快だな、でも仕方ないよね)と軽く流してしまえる場面で、とてもイライラしてしまうようです。
ヒロさんは根本は本当に優しい人です。でも特性や今まで育ってきた環境のせいか、特定のストレスに晒されると、人が変わったように横柄になったり、激しく自己主張をしたりします。私はそれを見ていて、とても辛い気持ちになります。
私たちのお気に入りのカレー屋さんは、本当に接客が丁寧で、とても居心地がいい場所です。私のOCDの症状も、一時的にですが劇的に改善するほどです。
私もヒロさんも、生きづらさを感じていて、具体的な症状は違うけれど、根本的な問題は似ているのではないかなと思っています。
私たち二人ともが過ごしやすい場所を発見できると、とても嬉しいし、有難いなと思います。
素敵な人たちや環境だけに包まれて過ごせるなら、どれだけ幸せだろうな、と美味しいカレーを食べながら考えていました。ストレスなく生きる方法を自分たちで掴み取るには、どうすれば良いかな、と思案していました。上記の『良い人だけが集まった街があれば良いのに』という発言は、そういった背景や思いからのものでした。
私はOCDの症状が酷いときに、最低限の衣食住がままならなくなりました。
トイレに行くのも、ごはん一粒たべるのも、辛すぎて避けてしまうほどでした。
当時はとても辛かったですが、しかし症状がマシになってそれらができるようになった時、湧いてきた感情は、ひたすら有難いな、という感謝でした。
日常当たり前にしていることでも、できない事を基準に考えると、とても素晴らしく、かけがえのないことだと気付くことができました。
同時に、私にいつも優しくしてくれる友人の存在の大切さにも気付くことができました。
もちろん人間関係には相性やいろんな要素が関わってくるので、万人にとって良い人、という存在は難しいでしょう。だからこそ、色んなタイプの人たちと関わって、自分に合う人の有難さに気づき、その関係を大切にすることができるのかもしれません。
辛い思いをした時にこそ、辛くないことに感謝が生まれるのだとしたら、辛い思いにすら、ありがとうと思えるかもしれません。
そうやって、いつも穏やかに過ごせていけたら良いな、と思える数日でした。
ザッチの言葉を受けて改めて、漫画喫茶の店員のような人にも感謝しなければいけないと思いました。
それと同時に、ヒロが他人を傷つけるかもしれないという可能性について、過剰に怯える必要はないのかもしれないと思いました。
私たちは全ての人に合わせる事なんてできません。
そして、合わせられない事にビクビクしながら生きる事は、穏やかに過ごす事とは程遠い事です。
背伸びも遠慮もせず、自分らしく生きられたらと思います。